朝から晩まで1日付添い本人の不安もだいぶ和らいだようだ。今日これからマニラに向けの便に乗るのだが、狭心症の人が飛行機に乗るって行為はかなりのプレッシャーだと思う。それが不安で一昨日ホテルの受付に来たのだろう。
最初の病院では医師もさほど病状について説明してくれなかったらしく、アスピリンも本人が希望したら、それではって感じで処方に至ったと言う。
私を含め多くの人がそうだが、慣れてしまうのだ。医師であれば同じ病状の人が何度も訪れ、それが当たり前になり終いには蔑ろになってしまう。
我々の仕事で例えるのであれば船員をハイエースに乗せて船に運ぶ際、ほぼほぼ荷物扱いしてしまうのだ。ぎゅうぎゅう詰め状態で2時間走る事など当たり前だ。そしてそれをお客さんまでが容認してしまっている。もし自分が乗ることになった場合、きっとアルファードを頼むだろう。
ときどき確認のため振り返りたいものだ。なにを確認するのかって?
私の当たり前が優しさに満ち溢れているかどうかをだ。
無事に帰れよー!
コメント
付き添いアテンド、お疲れさまでした。前の同業の会社では、荷役中に大怪我をした部下の責任を問われた船員と、彼の部下の意識が戻るまでホテルで2週間の共同生活をしたことがあります。警備会社に依頼すると高額になるし、港が地元の駆け出しである私に白羽の矢が立ったらしいです。
入院中に苦痛を訴えていた子が、体外機器を装着して飛行機に乗って帰りました。1月もしないのにFit For Travelが出たからって……
看護士の幼なじみが曰く、「春先の急アル大学生は邪魔」と患者サマ扱いも無いとか(笑)良くも悪くも、慣れることによって不慣れさによる過剰さが薄れてスタンダードが生まれますが、その過程と先に蔑ろが生まれてしまうのかもしれません。
フィリピン人を賑やかなチョコレート、ヨーロピアンを寡黙な石鹸、日本人をリチウム電池と感じてしまってますが(笑)
確かに各々の国で帰国してから治療を受けた方が言葉が通じるというメリットが存在するとも考えられます。なのでそう深刻な状態じゃ無ければfitを出すのでしょう。
コメントありがとん