まず傲慢さに偏ってしまったケース。
前述した通り能力の高い人材は優れたリーダーを目指し、常に論理的に物事の本質を見定め、思考を張り巡らせ多くの案件を解決していく。
そこには確かなデーターがあり、経験値を積めばかなりの確率で効率的に問題を解決し、その数だけ成功体験を手にする。この回数が多ければ多いほど自己肯定感が強まり他者より優れていると自覚してしまう。それが正しい道か否かはさて置き、自分のアイデアより優れた解決方法などないと思い込んでしまうのだ。そして他者の意見を聞くことを忘れ暴君と化してしまう。
私は最初から暴君になろうと思って、そうなっている人はごく僅かだと思う。しかしながら時に残酷な決断を迫られ、それを実行していくうちに徐々に自分を無慈悲に感じる様になり、それを正当化するために「経営者とは残酷でなくてはならない」という決まり文句で自身を慰めているのでは?と思う。
「優れたリーダーとは時には多数の意見の逆を指し示す」と矛盾するようだが、そうならない様に近くの人間に頼れば良い。残酷な決断をする際に、絞首刑のボタンを3人で押すように「残酷さ」を分散するのだ。
この分散させてくれる右腕というか、チームは会社がより発展していくには欠かせない物になる。それはそうだ、ボスが暴君である事で発生するメリットなどありはしないのだから。
なので自分と同等、あるいは自分より上等の人材を周りに置き歯止めを掛ける。その様にして経営者人生を歩んでいる人の歩みは実に軽やかに見える。
この状態は亭主関白の父親にも共通しているのではないか?うまくコミュニケーションが取れない凄腕のお父さんは同じくらいの能力を持つパートナーがいれば鬼に金棒だ。決して子供に自分の事を悪く言う人を選んではいけない。まぁ、私はそのような女性がこの世にはいないと信じているので、心配には及ばないのだろうが。
といったところで締めに入る。傲慢さが勝ってしまうのは、上記の理由でその人自身以外の影響も大きいと言える。逆に言えば周りの人で暴君化を防ぐことができるのだ。そして当人だが、探そう!共に力を合わせてくれる人を!そして作ろう!他所に負けない最高のチームを!それらを求める姿が本当の意味での謙虚さになる。
明日は謙虚の気持ちが大きく、バランスを崩してしまっているケースについて
続く
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