褒められると伸びるについて 2

前作「褒められると伸びるについて」で人を指導する際に「任せる」くらいしかやる事がないと書いた。これについて思考が浅かったなと思い2を書くことにした。

人を育てると言っても、素人さんからある程度熟練された人、さらに自分よりも実力が既にある人と各々受け手にレベルの差がある。

ここに褒められて伸びる人と叱咤激励で伸びる人の違いがあるのではないだろうか?

もし私が何か新しい趣味や仕事を始める時に、その物事の楽しさを教えてもらう前からあーだこーだダメ出しをされたら、続けていく気持ちがなくなると思う。

しかしある程度熟練してくれば、基礎的な教えでは物足りなくなってくる。これが一線で闘えるレベルになれば、「お前の力はそんなものか」と時には厳しく指導して欲しいと思うだろう。

昨今、メディアで行きすぎた指導として体罰や罵声を浴びせているシーンが流されている。側から見れば「あーあ、ひどいなぁ」と思わずにはいられないし、何故生徒は文句言わないんだろうと感じる。

確かに恐怖心もその理由の大きな一因だと思うが、全部が全部そうではなく、一流の技術を持ち得た者はそれ以上の何かを欲しているのかもしれない。対戦相手が死に物狂いで向かってくるのなら、それ以上の気迫で迎え撃たなくてはならないと悟っているのではないのだろか。

社会においてもそうである。これはとある著名人が語っていた事だが、目の前に億を超える仕事があった時、対戦相手はもはや人間ではなく鬼だと。

わかりやすく言うと早く来たら1億あげるよーと言われればなりふり構わず、場合によってはルールをねじ曲げ我先にと多くの人がそうなってしまうと言う事。

なので一概に酷いなぁと思わず本質を見抜いて行こうと思う。強烈に覚悟を決めて突き進んでいる者に、私の陳腐な不憫に思う気持ちなどいらないのだろうから。

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