悔しさについて

私の知人が先日とあるオーディションを受けた。

あまり接点のない方なので、その子がどの様な気持ちでそれに臨んでいたのか不透明だったが、次の台詞でまざまざと教えられる。

まず最終選考に残った事、そしてそれが1000分の3だった事、そしてグランプリを逃した事、そしてその事実を受けて悔しいと思った事。

この経緯でその子が、どれほどの思いと努力でそれに挑んだのかが痛い程分かる。そしてそれを感じ、私はこれ程までに物事に真剣に取り組んだ事があるのか?と自分に問い、その経験が無い自身を少し恥じた。

本物の悔しさとは全力で取り組んだ者にしか与えられない物で、妥協の末感じた悔しさはただの嫉妬心なのではないだろうか。 

本物の悔しさは人を成長させ、また次のチャンスに挑める原動力になると思う。

私もこの子の様に全力で挑みたいと思う。その先にある悔しさが本物で、さらに先にある次なる挑戦が出来る様に。

コメント

  1. Cio より:

    3/1000……それより倍率は下がれども、生活が懸かっていた15/400を突破して、最後の3/15に通らなかったことを思い出しました。

    それより遥か昔の小学生時分に、ボンボンの倅たちを蹴落として努力が実った瞬間を経験したので、報われる喜びも知っているはずです。

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