想像力があるについて

世の中にはアイディアに満ち溢れていて、よくそんな事思い付くねと感心させられるばかりだ。

この閃きについてはaとbを掛け合わせるだけで、何も空から突然舞い降りて来るわけでは無いらしいが、、、

とその話はさておき、今回焦点を当てたいのは、何かを思い付いたら、それをアウトプットしているかどうかというお話。

皆さんも過去にこんな経験はないだろうか?

テレビを観ていて、又は誰か友人のそれを観て、「あぁ、あれ俺も思いついていたなぁ」と思った事が。

思い付いていたのにも関わらず、それを皆んなが考えそうな事だとほったらかし、それを内から外へ出さなかった事があるのではなかろうか?

こんな時、もし自分自身を想像力豊かな人間だと思い込んでいれば、そのアイデアを周りに披露しただろうし、その結果一目置かれる存在になったかもしれない。

何が言いたいかというと、自分がアイデアマンだと自身で信じていれば、自ずとアイデアマンになると言う事。

これはどんな性格にも共通する。自分が強い人間だと思えば普段からの行動が強くなるし、繊細だと思っていればきめ細かな行いをすることになる。自分を馬鹿だと思っていればそれ以上学ばなくなるし、賢いと思っていればどんなモノでも吸収しようとする。

人間は自分が思っている自分にしかならない。

なので現状がどうであれ、今この瞬間、理想になろうとするのではなく、その理想の自分に既になっていると思い込んで欲しい。

筋トレをしてガタイが良くなったので性格も強くなるのではなく、強い性格だからこそ筋トレをし逞しくなるのだ。

勉強をして知識を得たから賢くなったと思うのではなく、自分は賢いと思い込むことで必然的に学び結果、優秀になるのだ。

私は考える。一晩で人は変わることができると、、

コメント

  1. Cio@一言居士 より:

    The imaginative might oppress and kill the creativity because what we have seen makes imagination. The emotions within ourselves for making some movie would have been sealed into the depth of unconsciousness by the entire facts and barely could appear outside.

    It can be limited to put out our own ideas and appeal them as long as we live our lives. It might not bright about only epoch-making results, but also a conflict. It is quite difficult to escape from the designated environment no matter how hard we try to struggle.

    The one who you know as well once said, “The truly smart explains well so that the stupid can understand”. What a loafer! www

    Furthermore, the other said, “Don’t believe yourself being smart otherwise your progress will stop”. That’s a convenient word to use employees as pawns.

    Reasons come after the results. No matter how much we want to become what we wish to be, the entire people force us to become what they want us to be. How grievous.

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