続 海外について

自分語りが長くなってしまっているが、よければお付き合い頂きたい。

Yさんは私がFサッシの下請けで働いていた時の班長さんだ。彼は同じ下請けなのにも関わらず、親会社の上の人とも対等に話をし、下請け会社の社員で唯一の班長だった。

交代勤務だったので夜勤もあり、残業も毎日3時間ほどして手取りで22万くらいだったかなぁ。後で知ったんだけど俺日割りで基本給が8000円くらいだったんだけど、その人15000円って言ってて、なんだそりゃって思った事を記憶している。

まぁ、それでもYさんはそれくらい貰って当たり前の人材だった。どこの州か忘れたがアメリカの大学を出ており、夜勤の休憩時間はずっと誰かと英語で会話をしていた。コミュニケーション能力も高く、為になる話、面白い話、たくさん教えてもらっていたのだと思う。当時はほとんど気付かなかったけれど、、、だって気付いていたら学びもせずに将棋なんてやってなかったでしょ。

なぜこんな優秀な人材がこんな所で俺と一緒に夜勤やっているのか訳がわからなかった。外資で働けばきっと夜働かなくても良いしも埃まみれの工場で汗をかく必要もない。給料だって倍以上になるだろう。

しかし彼はその道を選ばなかったらしい。

彼はまだ28だったが、英会話教室を経営しようと海外留学を決め卒業して帰国し、その費用を返すのと運転資金のため、この仕事を、夜勤を選んだという。開業してからのことも考え夜働いていれば昼客と会えるとも言っていた。そしてまだあのピンクのウサギが世で騒がれる前、ちょうど騒がれ始めた頃か、私の目の前で予定通り会社を立ち上げた。

ものすごい速さだった。計画を立てそれに向けてムダに時間を使うことなく突き進めば、これっくらいなら出来るんだぞって体現してくれたのだ。

前記した様に私は次の会社で時を過ごしこの偉業に気付くことなるのだが、大学を卒業してくる友人に劣ることない様にと海外行きを決意するのだった。

そのおかげでなんとか英語の職に就け、友人においていかれることもなく現在に至っている。よね?

彼がいなければきっと、いや、ほぼ間違いなくこの道を選べなかったと思う。現在は疎遠なってしまいもう15年以上会っていない。私が同じ経営者になった暁には探し出し、胸を張って礼を言いに行こうと思っている。

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