怒りについて

私がこのブログを書くにあたって、できるだけ避けているものがある。いや、できるだけではなく決定事項だ。それは怒りを落とし込まない事。

怒りの気持ちってのは共感しやすくバズる可能性が高いので、注目を集めたい人にはもってこいのコンテンツといえる。そしてかなりの数の怒りがインターネット上に蔓延し、その数だけ攻撃を受けている人がいる。

1つでも減らしたいと考えている筆者が増やすわけにはいかない。たとえ多くの人に私の文章を読んでもらいたくとも。

しかしながらもし万が一、怒りをインターネット上に書き込む行為になにかメリットがあるのだとしたら、知っておかなければディベートの時に困るので考えてみた。

そんなもの考えなくても分かる。生き物ってのは優しさを見せる事もあればイライラして怒りを見せることもある。文句を相手に直接言えればなんの問題もないだろう。しかしその怒りの対象が朧であったり、直接言い返せない相手だったり。時にその怒りの矛先が自分自身向けられている。だからそれをいなす様にまたは逃す様に匿名でSNSに書き込むのだと思う。もしそうではないのなら直接当人に言って解決すれば良い。怒りを伝える事で何か得るものがあるのなら。

インターネットの場ではない、普通の生活の中で腹が立ち怒りを覚え目の前の相手に、自分の顔と名前が知れた状態(今の世の中名前など幾らでも調べられるので)でその怒りをあらわにしている人をあまり見かけない。明らかにインターネット上で匿名で怒りを見せている人間の方が多い。しかし逆もそうなのだ。優しい行いを実際に見ず知らずの人にするのは勇気がいること。インターネット上では幾分ハードルが下がる。

私が以前大雪の2日後位にランニングをしていた時の話だ。大変そうに雪かきをしているおばちゃんがいたので「代わりにやろうか?」と話しかけたら、「いいです」と断られた事がある。覚悟はしていたが、多少のショックは受けた。

一昔前であればよく見かけたとまではいかないが、まぁそれなりにありそうな話ではあると思う。しかし今の時代、遠方から走ってきた知らない男に雪かきを代わりにやると申し受けられても99%断るだろう。こんな時こそSNSに「雪かき無料で引き受けます」と書けば、受けるケースであれ、断るケースであれ誰も傷付かない。

怒りの方がバズりやすいというのは私の思い込みであって欲しい。本当にインターネット上のコメントを全て拾ったら「実は優しいコメントの方が多かったです。」そんな世界であって欲しい。

そしていつかその世界で、怒りのコメにはしょうがねーなと笑いとばし、優しいコメントに涙したいと思う。

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