読みたくなる文章とは如何なるものか?
昭和では文字や文章が紙に書かれ、ひらがなや漢字で形成された文が何かの画面上に映し出されることなど殆どなかった。私が最初にデジタルと呼ばれる物に触れたのはファミリーコンピューターだろう。幼稚園生の頃のゲームはひらがなを画面に表示することさえできず、文字という文字が全てアルファベット表記だったと記憶している。それが小学生も半ばになった頃、ひらがながドットで画面に現れ始め、中学生に入学する頃には漢字が搭載されていった。
それから携帯電話の前にポケベルやPHSの時代がやって来て、端末に文章が数字で送ってこられ、やがてカタカナ、ひらがな、漢字の順に進化を遂げる。次第に色が付き、フォントが変更できる様になり(ジョブズのおかげで)今となっては音楽や画像も思いのままだ。
先人達のおかげで我々は本に限らずとも、色々なデバイスで文字や文章が読める。色彩や音楽や画像でそれらを華やかにし、最大限その文章を楽しむ事ができる。
その着色効果を最大限に受け生み出された文章はたくさんの人の心に届くだろう。
しかし私はこう思う。あなたにとっての読みたい文章は今、万人に必要とされている本ではないということ。転職や起業を考えている人はマナー本やビジネス書を、恋愛や結婚で悩んでいる人は心理学やゼクシィ。スキルを磨きたい人はhow to本、参考書。悲しい事や嫌な事があって笑いたい人は漫画や落語がある。
私は以前からやりたい事がなければ、または欲求が満たされていなければ本屋に行けば解決すると信じている。(今はインターネットで読めるので本屋の必要はない)
つまりあなたの読みたい文章とは、今のあなたに必要な文章ということになる。人は順風満帆にいっている時間が実は少ない。何かの問題や壁に多くの時間悩ませられている。その解決法を先人が既に文章に残してくれている。真似だってなんだって良いじゃないか、その壁を乗り越えられるのなら、、、
ちなみ私の文章はやる気スイッチはあるんだけど、どこにあるかわからない人、やる気スイッチONにしたけど一緒に走ってくれる人がいない人用の文章です。やる気に満ち溢れている人にはちょっと物足りないかも 笑
そのうちに物足りないと感じている人も含め、誰からも求められる様な文章を書くために今宵も精進いたす。
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