人はこの世に生を受け、たくさんの人と関わり生きていく。
その中から自分が好きな人達と共に歩んでいく。
学生が終わるまでほぼ自分と同じレベルの人達と括られ、その後「えっ、こんな人がいるんだ」と良い意味でも悪い意味でも知り合う事になる。
自社で過ごす分には、皆少なからず同じ考え方を持っているため、想像を絶する様な人はこれまた良い意味でも悪い意味でもいない。なぜなら会社には基本理念というものがあり、経営者が従業員を雇う際にその理念に基づいて採用される。なので本当の変わり者となる人は社外にしかいない。
そして社外であう人物とはこれまた自分と同じ様なタイプになり、結果飛び抜けた人物に会う可能性は低い。つまり高い能力(また著しく低い)をもつ人物に触れるには、自分がその能力に近いものを持ち合わせなくてはならない。
別に飛び抜けた人と会う必要がないってのなら、特に意識する必要などないだろう。しかしもし貴方が必要とするなら先の事を意識して欲しい。
私が先日出会ったとある社の長は大きな人だった。私がまた会いたいと思う事は稀で、この度久方ぶりにその感覚になった。
今後、付き合っていく会社、社内での人事、色々なところで人を見定めなければならない。
あくまで私の基準になるが、こんな人が弊社の扉をノックして欲しいなぁと思っていることがあるので近いうちに書こうと思う。
コメント
袖触れ合うのも多生の縁、諸法無我ですね。
理念に基づいた採用基準だから揃う人間も均一化されて、社風や校風も出来ていくのかもしれません。ただ、門戸をいくつか設けると社風は悪くなるなと思っています。
新卒の初任給が最終学歴でかなり違う職場、複数の派遣会社が入っていて派遣社員のほうが多数派の職場、派遣子会社所属の正社員が親会社の職場に派遣されている職場、親族経営で親族以外は係長止まりの会社、コネ採用で求人表を通さない採用が多い職場。これらの会社は踵を返したほうが良い気がします(笑)足並みが揃いません。
コメントありがとん
十社十色ですね、私は色々な会社のスタイルがあっても構わないと思います。雇用されている側も上の立場で働きたくない、派遣が良い、学歴重視が良いなど求める物も異なって来ます。それに備えなくてはならないので。
私の求める優しさで満ち溢れた職場は実際問題、生き残れる可能性が低い部類のやり方かも知れません。なぜならもしこちらのやり方がより優れているのなら、こんな世の中になっていないからです。しかし私はこの点についても抗いたい。多くの人がそれを望んでいるなら尚更です。