さて、日本における自ら話掛ける人の割合は2割だけになってしまっている事について考えようと思う。
まず何故にこんなに少ないのか?
それは昨日も書いた通り、話しかけて来た人物が危険な人である可能性があるのが1つ、そして最も大きな要因として次が挙げられる。それは知らない人に話しかけたら「なんだ、こいつ急に」となってしまう事があるという事だ。
確かにあるだろう。私もたまにそういった人に出会う。名札をしていて「その漢字なんて読むの」と尋ねれば「関係ないでしょ」と言われたり、「お仕事大変そうだね」と声をかけた時に、シカトをされたりと必ずしも気分が良くなる返しが来るとは限らない。
それでも、それでも7割の人が話し掛けられるのを待っているのだと信じているから、その恐怖を振り払い喋りかけているのだ。
知らない人に話しかける事には労力だけでは無く、技術を要する。その技術を習得するには経験を積まなくてはいけないし、恐怖に慣れなくてはならない。
私はこれらの努力をしないで、話しかける人間側の事を、馴れ馴れしいとか軽いと表現するのに違和感を覚える。
ここまで話したら私が2割の方の人間だと予想するだろう。そうなのだ、私はそっち側の人間だ。
だからこそ私が知らない人に話しかけられたら、常に笑顔で応じる事にしている。その人物がどんな思いで喋り掛けて来ているかを知っているから、、、
最後に、
私は私が思っている以上に世界は広く、明日会うまだ見ぬ他人がその世界を広げてくれる可能性があると思っている。あなたの周りでもその運命が待っているかもしれない、是非笑顔で対応して欲しいと思うし、時には話し掛ける側に回ってみて欲しいと思う。
コメント
田舎の女は話し掛けられるのを嫌がりますね、男は逆に絡んできます。そんな経験則。東北から集団就職者が東京に流れ込んだから、東京も冷たい街になったんでしょうか。同時に、田舎は他人の行動を監視する因習も徳川時代から続いてます。
軽いというより……外国人に限っては、治安が悪い国や観光で有名な国は親しげに近づいてくるので、後天的に警戒心も生まれている事実もありますね。日本でも迷子を保護しようとしたり、登下校の児童に挨拶しただけで事案になるような……美しくない、ブッサイクな国ですね(笑)
5人組の制度は監視や連帯責任と言うネガティブな言葉で現している事が多いですが、そこを協力や助け合いに代えればなかなか良い制度に思えますよね。
登下校の児童にの件は、少数のダメな事実が独り歩きして事案になり得ると刷り込まれてしまっているのかも知れませんね。
歩っていて先に児童の方からこんにちはと言われると俺より根性あるなと思います。
コメントありがとん