褒められると伸びるについて

自分は褒められた方が伸びると言っている人達に違和感を覚えている。

「伸び伸び育成する」と「甘やかし」の境界線について考えた事があるだろうか?

人を教育する立場の人ならどういった方法が1番当人の力を発揮させてやれるか考えた事があるだろう。私のやり方はまず否定しない。その上で規律を守らせなければならない。そのためにやる事言ったら「任せる」くらいなもんだ。

任せれば必ず期待に答えてくれる。多少キツい仕事でも信頼して自由にやってもらえば、楽な仕事を型にはめてやらせるより確実に楽しく仕事ができる。

この「楽しく仕事ができる」が、当人のため、会社のため、社会全体のため、誇張して言わせれもらえば世界のためになる。

任せずに1から10まで見張り、管理をしミスが起きないようにする。これこそが甘やかしだと思う。なにも考えさせずに、失敗する事で覚える痛みさえも奪ってしまっている。

人とは痛みで成長するものである。褒められる事で伸びるとは正反対なのだ。私は思う、本当に伸びる人間は自分で自分を叱っているのだと。

自由にやらせて貰えるってのは想像以上に大変である。責任や重圧が掛かる。期待に応えようと懸命に努力をする。それでも満足と言える場所まで到達しなかったら辱めや不甲斐なさを感じる。その時自分を叱り鼓舞して成長していくのだ。

気付いただろうか?もうこの段階で既に成長しているのだ。自分自身で叱り鼓舞した時に伸びているのだ。つまり叱られたことで伸びている事になる。その成長後に褒められているだけだ。決して褒められたから伸びた訳ではない。

子供の様に自分で自分を叱れないなら誰かに叱ってもらわねばならない。しかしながら自分で自分を叱れるのであればもう他者に叱られる必要はないのだ。

コメント

  1. Cio より:

    弊社は意地の悪さや、誰かを教育している自信に酔っているのを「厳しさ」としている糞野郎だらけです。中坊の野球部のノリを職場に持ち込むんじゃねえと思ってます(笑)

    火は怖いものだ、熱いものだ、触れたら痛いものだと言葉で解いても、自身で触れなくては恐怖も熱さも痛みも覚えないですよね。次回からは回避が働くようにもなりますし。万事、「君子、危うきに近付かず」が通用するとは思えません。

    「おめえはダメだ」としか言われないし、それを良しとする職場は職場じゃないですね。危険なカルトです。自己肯定感が無くなるし、モチベーションは徒に下げられるます。人が育ちません。そんな職場だらけで風潮にそれが現れていたから、「誉められて伸びる」という言葉が注目されたか目立ったのかもしれません。

    • kotsubanmakura より:

      私はまだ自分の資本で人に働いてもらっていない立場なので想像に過ぎませんが、実際に自分の蓄えてきたもので、他者に働いて貰うと言うのはかなりのプレッシャーになるのだと思います。なぜなら自社が優しさに満ちた会社だったとしても、周りの会社がそうでなかったとしたら、無理強いもしてくるだろうしそれをこなせなければお客が他所へとも考えられます。最悪不払いもあり得ます。例えこなせたとしても十分に社員及びその家族を養えるかどうかわかりません。それらの重圧が原因で会社を出来るだけ体力のある状態にしようと、被雇用者に無理を強いてしまうのだと思っています。目の前に迫ったその立場を想像すると、果たして俺に出来るのかと不安になる事もあります。しかし歯を食いしばり俺なら出来るでしょと言い聞かせています。そしてこんな社員が俺の下にいてくれたらと思う様な、そんな自分でありたいと日々働いています。きっとそうする事で俺がその立場になった時に必ずそんなヤツがやって来て助けとなってくれると信じています。
      コメントありがとん

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