野心について

たまに野心が感じられると言われるので、野心について掘り下げてみた。

野心家と聞き、私はあまり良いイメージが湧かない。というかモヤモヤが残る。

野心と野望には共通する意味合いがあり、身の丈に合わぬ大それた夢や目標を抱くこと、とある。

こちらの意味がどうもピンと来ないのは、以前も書いたが、人は能力で立場が決まるのではなく、立ち位置に能力が合っていくと考えるからである。

昨今、ドリームキラーというワードをよく聞く。これは夢を持っている人間に対して、あたかも善意や親切心で「やめた方が良い」、「安定が1番」など貴方のためを思って言ってますよって具合に、実は夢を殺してしまっているという意味だ。情報を充分に集めず見切り発進を目の前にしたら止めたくもなるので理解は出来る。しかしその夢見人がしっかりとした道筋を見据え、後はその道を行くだけならしっかりと背中を押すべきではないか。

ではこの充分な情報の境界線とは?

はっきり言って現在経営者でいられる方々でさえ、未来を見据えることの出来る情報を充分に持っているかと聞かれれば、ノーと答えるだろう。

詰まるところ走り出してしまうしかないのだ。この間こんな話を聞いた。あなたの家の収納を担う家具の引き出しに空のスペースがあるか?と。無いと答えるならイメージできると思う。器があれば人間は自然とその中を満たそうとする。会社も同じで作ってしまえば、利益を入れたくなるんだと。

ちょいと話がずれてしまったが、兎角、私は身の丈に合わない夢や挑戦などないと思っているので、このひとつ目の意味するモノのイメージが出来ないのでモヤモヤが残るのだと思う。

明日は野心という単語が持つもう1つの意味について考えようと思う。

コメント

  1. Cio より:

    ドリームキラー、初耳ですが私は該当しますね。人に勧めるより、止めるほうが圧倒的に多いです。木更津に行きたいと言って、宮野木から小松川線に入って外環まで進むような夢見人に限りますが(笑)

タイトルとURLをコピーしました