普通について

「いや、いや、普通だよ」この台詞についていつも違和感を覚えている。普通に仕事したり、普通に飯食ったり、普通に寝たりと聞いて、各々どれくらいの量と想像しているのか。私の友達に夜10時頃電話をするといつもオフィスにいる。

いつもと言うのは大袈裟ではなく、私が電話をしてオフィスにいなかったことがなかった位だ。しかも始まりは朝8時からだという。毎日それをこなしている彼からしてみたら、きっと普通のことなのだろう。さすがに自分でもよく働いていると自負しているだろう。しかしながら、それを「そうだよ、俺は人より働いてるぞ」とはなかなかに言い難いものである。そんな彼は「いや、普通だよ」と何の気無しに言うだろう。もし私が普通と言う名の下に、8時間しか働いてなかったとしたら(時間の長短は関係ないんだけどね)、当然彼は私をおいて高みに行くだろう。

この様にかなりの確率で普通とは共通認識ではないことが多い。注意を払い相手の言っている「ふつう」とはどの程度の量なのか推測して欲しい。もし相手の「普通」を見誤ったまま話を続けてしまうと傷付けてしまうことすらある。私はその値が朧げながらも見えてくるまで、さりげなく見にまわる。

最近、前出の彼とは話す時間がとても短く、仕事の話はご無沙汰で近況もわからないが、きっと近い将来結果を残すだろう。もしかするともう残している。可能性はかなり高い。彼が働いている量と比例する高さの確率になるからね。

近くしっかり聴かせてもらおうと思う。

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