支えるについて

私にいくらかの余裕があればその余裕の分だけ誰かの支えになれると、日々余裕が蓄えられるよう過ごしている。

金銭、精神、時間どれも少しずつ蓄えられる物だ。

金銭においては自分の口座とは別の「誰かのため口座」を作り、そこから誕生日、祝儀、また貸与に充てる。

精神においてはかなりの数の蓄え方法があるのにも関わらず、そのどれもがほんの少ししか蓄えられない。お昼寝、哲学、質の良い食事、適度なスポーツ、パワースポット、お笑い、今挙げただけでも沢山出てくるのだが、蓄えられる余裕は限られている。それを知っているので、いつも私に笑顔をくれる人には人間性の深みを感じる。

時間について、これが3つの中で最も蓄えづらいものだ。時間とは絶えず流れていて、刹那の単位で現在が過去になり変わってしまう。貴重な物だ。これに余裕を持たせるにはきめ細やかに管理しなくてはならない。お金の使い方に投資、消費、浪費があると言われ、これが時間にもそのままあてはまる。振り分けはかなり難しくなる。睡眠時間が適正の時間の場合それは投資になるが、オーバーもしくはショートしてしまった場合その分の時間は浪費にあたるのか?これと同様、映画/音楽鑑賞をし心地良く優雅な気持ちにならせてもらった以降の時間は浪費なのか?と、分類が難しい。節約して余裕を手にするには、これらで生じる浪費にあたる時間を削り取らなくてはいけない。そうすることでようやく人にあげることが出来る。

ここまで考え書きまとめてきたのだが、とてもじゃなく書き切らんと思い、今後また1つずつ追っかけて行こうと思う。

いずれにせよ、誰かの支えになっている人は普段から自分を制御し余裕を蓄えているのだ。私もほんの少しだけでも誰かの支えになれたらと「ちょっとの我慢」をしてポケットに入れている。そのサイズくらいしか貯められないから。

そして短気な俺が癇癪を起こしそうな時に、それがちゃんと返ってきていると体感している。俺から急に連絡が行く人、どうもありがとう。

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